2025年5月21日
日本学術会議法案は廃案にせよ
─学問の自由が墓場へ送られる瀬戸際に立って─
社会主義理論学会
2025年5月21日、社会主義理論学会委員会で決定
社会主義理論学会(以下、本学会)は2023年1月8日付で「日本学術会議を国策協力の御用機関にしてはならない─「日本学術会議の在り方についての方針」(2022年12月6日公表)に対する抗議声明─」を発出した。
しかし、残念ながらその後の事態は「日本学術会議を国策協力の御用機関に」する方向へと着々と進んでいる。2025年5月13日には、内閣が提出した「日本学術会議法案」(以下、新法案)が衆議院本会議で可決され、参議院へ送られた。5月29日に参議院で審議入りののち内閣委員会での3回の審議を経て、6月6日に本会議で可決・成立する。これが側聞したところの最短のスケジュールである。
事態の瀬戸際に立って、前記抗議声明を発出した本学会は、以下の三つの理由からこの法案の廃案を強く求める。
第一に、事の発端となった2020年10月の菅義偉首相による会員候補者6名の任命拒否の理由が、依然として説明されていない。それを秘匿したまま、今後首相による任命拒否を生じさせないために、1949年1月に国の「特別の機関」として発足した日本学術会議を、特殊法人に改組して首相の会員任命権を削除するというすり替えが新法案では行われようとしている。立法が必要とされる理由の起点が不明であるにもかかわらず、新法案が立案されたのである。
第二に、政府の説明によれば国の「特別の機関」との位置づけよりも、特殊法人化したほうが自立性・独立性を抜本的に高められるという。これは行政学の基礎知識を確信犯的に「忘却」した詭弁である。大学生が学ぶ行政学の教科書には、特殊法人に対しては予算の認可権や人事権などを主務大臣が握っており、これらの権限を通じて主務大臣は特殊法人を強力にコントロールしていると記述されている。日本学術会議が特殊法人化されれば、主務大臣は内閣総理大臣である。首相が日本学術会議を強力にコントロールできる制度設計になっていることは、新法案に「内閣総理大臣」との文言が44回も登場することから容易に推察される。現行法ではわずか7回である。新法案は首相による「学術会議管理法案」なのだ。
第三に、現行法にある設置目的を宣言した前文を新法案はすべて削除した。そこで謳われていた「文化国家」、「科学者の総意の下」、そして「平和」の文言は新法案ではすべて消されている。とりわけ注目したいのは、「科学者の総意の下」が削られたことである。「科学者の総意の下」にない組織は果たしてナショナル・アカデミーに値しようか。新法案が成立すれば、それに基づいて発足する日本学術会議は、本学会が前記抗議声明で懸念した「国策協力の御用機関」にほかなるまい。
国費を投入しているのだから国策に協力するのは当然だとする暴論は俗耳に入りやすい。しかしこの理屈からすれば、裁判所も会計検査院も独立を否定された御用機関になってしまう。
新法案第1条は「日本学術会議は(略)社会の課題の解決に寄与することを目的とする。」と宣言する。この一見あたりさわりのない言葉遣いに惑わされてはならない。「社会の課題」とは前記抗議声明で指摘した「政府等と問題意識や時間軸等を共有」の言い換えなのだ。学問を選別し、学問の自由を尊重しない政府の本音が込められている。そして、学問の自由ともっとも両立しないのが軍事研究である。日本学術会議は1950年に「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」との声明は発して、1967年と2017年にこれを確認してきた。
「自由に研究すること」を会則に掲げる本学会は会員の総意として、学問の自由の墓場へと道を開く「日本学術会議法案」の廃案を断固要求する。
以 上